もういっちょ野球の話 〜16球団構想について〜
今、野球界でときたま囁かれるのが、【プロ野球16球団構想』というやつである。
今セパ合わせて12球団があるが、プロ野球選手やファンの人口拡大、交流戦やポストシーズンの注目度を高める、プロ野球に新鮮さをもたらしたい…みたいなところで、よくファンや野球界OBから口にされる話題である。
まあ、私としては別にこれ以上増えてもな…と思うし限りなく非現実的な話だよなとも思うけど、あえてもう4球団作るなら??と考えてみた。
今構想中とされる都市は新潟、四国、沖縄などである。
多分ポイントとしては、近くに球団がないこと、野球が盛んな都道府県ということだろう。しかし、沖縄なんかは移動や球場の手配が大変そうだ。台風もある。残念ながら無理そう。みたいな感じで私なりにちょっと考慮してやってみた。
ポイントとしては重要順に
・球団にはフランチャイズ権がある。つまり今球団のある都道府県に新たに作ったり、他球団と利権の争奪、既存の利益からのマイナスがあってはならない。
・セパを東西で二分する案もあるが、それは採用しない。上記の件に触れる可能性があるからである。よってセ球団は新幹線沿いに、パ球団は地方の主要都市という従来の法則にする。
・ファンや選手の移動の負担の考慮
・基本的に市営球団はなし。日本の株式上場企業をスポンサーとする。
とまあこんな感じである。それでは行ってみましょう。
・京都『任天堂スマッシュ・ブラザーズ』
任天堂がスポンサーになってくれたら、野球ファン以外のファン層を得られる可能性が高い?資金力、知名度共に申し分なしだと思うが京都に球場や施設となると無理そうなので滋賀や福井あたりに作るしかないか。あと肝心の任天堂はちっともそういうのに興味無さそうである。(多分興味あったら既に作ってるわ)USJの延長でポイっと作ってくれないかな?マリオモチーフのスタジアムとかめっちゃ上がるわ
・静岡『YAMAHAライダーズ』
こちらも世界のYAMAHAである。バイクや楽器など球団のモチーフになるものが多くキャッチーである、今回一番可能性があるんじゃないかと思っている企業である。甲子園の吹奏楽部の応援なんかも盛り上がりそう。静岡はサッカーやろって感じだが、そう言う決めつけが良くない。サッカー少年達を野球に引き込むのや…
・山梨『サンリオストロベリーキングダム』
これは今回の隠し球かつ球界の盲点である。日本が世界に誇る企業はまだまだあるぜ。
こちらも、野球ファンに新たなファン層を拡大出来そうである。グッズやメディア展開のノウハウもある。ただ、男の子が「将来の夢はサンリオストロベリーキングダムの選手になることです」って言ってくれるくらいになるには大正義レベルの補強がいる気がする…あと、実は地理的に西武ライオンズと競合するのが懸念である。
・三重『伊勢ベビースターズ』
ご存知おやつカンパニーから。こちらは割と現実的よりである。なぜならおやつカンパニーは三重と大阪にふたつちっさいテーマパークを作っているので、意外とその気になればポッと球団とか作っちゃいそうな気もする。あと三重って関西なのか名古屋なのかみたいな微妙な感じが、球団を持つことによるアイデンティティーをもたらせそうである。生え抜きスターは智弁和歌山から獲ろう!
以上、こんな感じである。問題の北陸や四国は交通の問題、資金力の問題から断念となった。
まあ戯言の外なんでもないただのおっさんの妄想なので、そろそろ終わります。
野球の話
これで、03年、05年のV戦士達はほぼほぼ引退し、矢野監督をはじめ彼らも首脳陣の世代になっている状況だ。
その頃は私も小学生だったから思えば長い年月を経たのやなぁ…としみじみする。
小学生の頃バリバリ現役だった選手が、もう自分がおっさんになっている年齢までプロとして活躍しているとは感動である。本当に凄い。と、おっさんになってつくづく思う。
老害的な意見かも知れないが、私が小学生〜高校生の頃のプロ野球は本当に本当に面白かったと思う。
今のプロ野球も、技術やデータ、科学的な向上などもあって歴史的にも不世出の選手が現れていて。それはそれでとてもプロフェッショナルだと思うし、魅力的だと思うけれども、あの頃の、1990年代から2011年くらいのプロ野球って物凄く面白かった。
まさに群雄割拠だった。セパ各々の球団に切り札があって、ペナントレースの行方は一進一退だった。
阪神なら鉄人金本とJFK、中日ならアライバコンビにカットボーラー川上憲伸、巨人はゴジラ松井に雑草魂上原にジャンパイア…
他にも浜の番長三浦大輔や、孤高の天才前田智徳、球界の頭脳古田と、Bクラスの球団にもカッコいい二つ名を持つヒーローが沢山いた。
まあそれは野球選手という存在がまだお茶の間のヒーローだった最後の時代の残り香かもしれない。昔は晩ご飯食べながら野球中継を観るのが普通だったし、スポーツ番組や、バラエティにおけるスポーツの中心は野球だった。珍プレー好プレーや、野球選手のドキャメンタリーなんかが、オフシーズンによくやってたりした。メディアと野球というコンテンツが近かったから、そういうヒーロー像を作りやすかったのかもしれない。
しかし、そんなヒーロー像の影響もあってか、昔の野球選手は怖かった。それはもう強烈に漢の世界だった。オラついていた。どう見てもヤ○ザみたいな人ばかりだった。多分見た目はホントのヤ○ザの人より怖いと思う。体の造りが違うから。
勝負の中に生きるアスリートとしての、ギラギラした本気感が充満してたのかもしれない。
それに対して、今はファンと選手の距離がとても近い。球場でのファンサービスや、インタビューなんかも選手がニコニコしてやってるし、なんとなく選手の雰囲気も気の良いお兄ちゃんみたいな感じだ。
一説によるとWBCや代表戦なんかで、混成チームが多く組まれたからっていうのもあるらしい。他チームの人も、対戦相手だが仲間でもあるという感じらしいのだ。
あとはまあ…時代やね……
そんで、その頃のレジェンド達が今YouTuberになって、現役時代のこぼれ話なんかを色んな人と対談なりしている。現役の時はヤ○ザかな?みたいに思ってだ人が気さくに話してる様子なんかを見てギャップを感じたり懐かしんだりでついつい見てしまう。
私の中での野球OBってミスターとかノムさんとかカネやんとか、癖のあるご意見番みたいな人達って感じなので、こんなOBの姿も新鮮だ。凄い楽しい。
うん…時代やね……
JO JOの話
新年明けましておめでとうございます
新年はゴロゴロするのに忙しく.初投稿が下旬にまでなりました。
さて、今回は私が愛してやまない「ジョジョ」の話
ジョジョはずばり長期連載マンガの代名詞的存在である。ジョジョを読んだことがなくてもジョジョを知らない人はいないだろう。
なのにこち亀や美味しんぼなんかと違って、全く国民的存在にならない。それこそがジョジョの魅力である(?)
私のジョジョとの出会いは、保育園児の時兄がジャンプを買い始めた時あの名バトル「ブチャラティvsプロシュート兄ぃ」の列車バトルである。そして小学生になってコツコツ一部から漫画を集めていった感じである。
だからブチャラティは今でも最推しキャラである。ブチャラティ〜!!(ピストルズ風)
最近、私の彼女がジョジョの世界に入門した。ようこそ…男の世界へ……
きっかけはやはり5部である。なんとなくやることがないので5部の序盤をネトフリで観たら、瞬く間に彼女は5部を観終わり、1部から3部まで観終わってしまった。5部を観せたのが12月末なので、驚異的スピードである。岸辺露伴もびっくりのスピード…恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……
しかし気持ちはわかる。だって面白いんだから。
ここからが今回の話の肝なのだが、女性、そして新しいジョジョファンのジョジョに対する認識と、古いジョジョ読者とのジョジョに対する認識の違いが凄く面白かったのである(めちゃジョジョて言う)
ちなみにここからはあまりにも個人的見解でしかないことをご了承頂きたい。
私の彼女の推しキャラはジョルノ・ジョバーナらしい。これは5部の主人公である。私的にはジョルノ???って感じである。
漫画のイメージだと、5部は群像劇テイストで、端キャラでも強烈な個性を持った人物が大量に出現し、ジョルノは主人公にしては影の薄い人くらいのイメージであった。
多分漫画勢は大概その見解なのではないか?と思う。
しかし、アニメのジョルノは確かにカッコ良かったし、漫画よりは目立ってた気がする(それでもやっぱり強烈な奴はより強烈だったけど)
漫画の補完をきちんと魅力あるものにする、良アニメである。ジョルノは救われたね…
そして今までの自分にない見方でいうと、『カップリング』という概念である。
例えばシージョセ、承花、ジョルブみたいな感じである。そういうのをまとめたサイトがあって、折角なのでクイズ形式でカップリングを当ててみた。
私が「康一×露伴は?」と言ったらそれはないという。え???そうなん?でも仗助×露伴はあるらしい。え???そこなん???
あと、リサジョセはないのに、ジョセ承やディオジョル、承徐はあるらしい。
う〜んわからん…カップリングの世界は難しい…
とまあ私の知らないジョジョの愛され方が沢山あるみたいだ。
今ジョジョリオン、めっちゃおもろい展開になってきたで!!みんな読んでや!!!
あと、SBRのアニメ観たいから、6部そろそろアニメ化してや!!6部、多分アニメになったら評価上がると思うで!
はっ気がついたらこんなに文字を打っていた…時間が吹っ飛ばされたみたいだ…
お笑いの話
実は今、私はお笑いの勉強をしている。
勉強って言っても、学校の授業みたいに教科書があって先生の板書をノートを書いてみたいなではなく、もうとにかくネタを沢山考えて人前で披露する、めちゃめちゃ野性な勉強である。
お笑いってなんかとても変である。
面白いってとっても変だと思う。
面白さって絶対にお笑い芸人みたいな人に「与えられる」よりも、自分で勝手に想像してツボる方がいいと思うんだよね…
自分の人生を振り返っても、お腹抱えて大笑いするのってお笑い番組を観た時より、家族や友達のふとした一瞬の出来事の方が多くないだろうか?
まあなんでそうなっちゃうのかの話は長くなっちゃうからしないけど、お笑い芸人って家族でも友達でもない全くの他者を笑わせるってことだから大変なんだな…
じゃあなんでお笑い芸人が存在してるのか?
お笑い芸人のネタよりも、普段の生活で起こることの方が面白いならお笑い芸人なんていらないんじゃない?って
私はここ数ヶ月勉強してわかったことがある。
「お笑い」と一括りにされているが、これは分解すると、『面白い』と『楽しい』の2つの要素で出来ていると思うのだ。
お笑い芸人は、本人の性格や性質に、この面白さと楽しさをくっ付けて作っていくんだと思う。まるでゲームのステ振りみたいな感じだ。
お笑いファンってとてもストイックな人がいるから、「馬鹿野郎!お笑い芸人は面白さだけ追い求めりゃいいんだ、楽しいなんて女子ども喜ばせるだけだ」って言う人もいると思う。
確かに面白さを追求するのって何よりもずっと大事なことだと思うけど、楽しいってこともとても大事なことだと僕は思うのだ。
なぜなら、それが先程言ったお笑い芸人の存在価値だと思うからだ。
お笑い芸人はつまり人を楽しませる人達だと思うからだ。
面白いことなんて世の中いくらでもあるのだ。別にお笑い芸人だけが面白いことをしているわけじゃないし。
かつて赤ん坊だった頃はみんな親兄弟のいないいないばぁで大笑いしてたのだ。クソくだらないことで笑ってたのだ。
だから、面白いと思う面白感度なんてその時の状況や気持ちでコロコロ変わっちゃうのだ。笑いの沸点なんて言うよね。箸が転がっても笑うとか、お葬式の時は何が起こっても面白い、みたいな。
でも楽しいって繊細な面白さと違ってその人にとってずっと変わらない感情だと思う。
楽しいって楽しいから楽しいのだ(わけわからん)
みんな別々の人生を歩んできて、一人して同じ人間はいないけど"楽しい"を共有出来る人が現れたら、仲間や友達、恋人なんかになったりする。それぞれの面白感度は違うように何を楽しいとするかも人それぞれあるけど、友達や恋人以外にも楽しいをお届けしてくる存在があるってとっても素敵な事だと思う。
つまりお笑いってエンタメなのだ。
どういう面白さ、楽しさを与えられるのかは芸人によって違う。最近はm-1やIPPONGPなんかでお笑いがストイックなアスリートのようになっている。それもまたお笑いの熱いところだけど、楽しいって言うのもやはり芸人の本分で、そこにもみんな一生懸命で熱いのだ。
だからテレビやライブで芸人のネタや平場を見ることがあったら、「いや〜、この芸人は楽しいなぁ〜」と言って見てほしい。
めちゃめちゃ玄人っぽく聞こえること請け合いである。
中国人って面白いね 羅小黒戦記の話
前々から観たかった映画、「羅小黒戦記〜僕が選ぶ未来〜」を観た。
なんでこの映画が観たかったのかと言うと、鬼滅の大ヒットが予想される中、鬼滅と同じ時期に、同じアニメ映画で中国が日本にカチコミに来たとあっては興味も出てくるよというもんである。
鬼滅は予想を大きく上回る歴史的大ヒットを記録したが、鬼滅の連日満員御礼というニュースも落ち着きはじめたこの頃、ちらほら「ロシャオヘイセンキおもしろい」という声を耳にするようになって来た。
はじめは物珍しさで抱いた興味だったが、これはひょっとしてマジで面白いんじゃないか??という気がして来た。
というわけで今日観に行った。
めちゃくちゃ凄かった。
中国人ってほんとうにすごい人達だと思った。
内容はものすごくファンタジーだ。古き良きジブリやナルトの匂いがするような、活き活きしたファンタジーって感じ。
しかし、その純度というか密度はもしかしたらそれらを大きく上回っていたかもしれない。説得力がすごい。
正直言って、物語の世界が観客に100%伝わるような親切設計ではない。(原作のアニメがあるらしいね)
まさに「考えるな、感じろ」って感じである。
しかししっかりとそれを受け止められる。
中国すげぇ…って思えばそれだけでこの作品は100%楽しめるのだ。こんな脳味噌空っぽで楽しめる映画は久々に観た。
それは即ち中国四千年の歴史が積み上げて来た、中国という大国のロマンが土壌になっているからだと思う。哪吒とか出てきたし。
中国ってコンテンツ大国なんだよね。故事から始まり、春秋戦国時代や三国志、三大奇書や封神演義みたいな。荒唐無稽なホラ話とも言うような、楽しい冒険譚をずーっと生み出して来た、いわばファンタジー大国なわけで。
だから、作中沢山バトルシーンが出てくるんだけど、そのバトルがまさにダイナミックで、ラストは街ひとつをまるまる巻き込むレベルの超常バトルである。
もうアホかって感じだけど、それがものすごいリアリティを持って繰り広げられるのである。ビルを引きちぎって抉り取るなんてこの世の誰もやったり見たりしたことが無いだろうに、それがまるで本当にそれを見た人が描いたかのように活き活きしているのだ。
この作品はとってもファンタジーなのに、何一つ嘘ついてなかった。
羅小黒戦記はあの数分間実在していた。凄い。マジで
うーん、でも中国ならほんとに空飛んでる人が街中壊してる場面見たことあるのかな…??ありえるなぁ…
とにかく素晴らしい映画でした。
途中でベタベタのフリオチ?みたいなチャイニーズコメディも入ったりしますが、そのごま油くささも含めて楽しめる傑作だったと思います。
煉獄さん!!
見るか…鬼滅…
と、映画館に足を運んだのは昨日の話。
鬼滅の刃の劇場版「無限列車編」を観に行った
そしたら…
めちゃめちゃくちゃおもろいやんけ!
心を燃やせ!って、命令すんな。もう燃えとるっちゅうねん。
この無限列車、空前の大ヒットなのは周知の事実だけど、これはもうとっても歴史的に凄いことなんじゃないかと、観終わってすぐに思った。
別にお金の話じゃなくて、TVアニメの映画作品の根本が変わるんじゃないかって話。
私は昔TVアニメの劇場版って凄く苦手だった。
昔のTVアニメの劇場版といえば、完全新規の原作に影響を及ばさない程度のオリジナルストーリーか、TVのダイジェストを気合の入った作画でやるかの2つだった。
前者は子どもながらに「ぼくのかんがえたさいきょーのてき」みたいな二次創作的なイタさを感じちゃうし、ダイジェストは、登場人物の雰囲気とか行動が、窮屈なストーリーのための説明にしかならないような無機質さが好きじゃなかった。
けど、これって私だけじゃなくて当時のこども達みんな心のどこかで感じてたんじゃないかな?アニメだし。そんなこと言ってもしょうがないし。みたいな。
しかし、鬼滅の刃は違った。そのどちらでもなかった。そのどちらでもないことは観る前から知っていたが、そのレベルが遥かに予想を超えていた。
登場キャラの説明、なし
これまでのあらすじ、なし
場面の説明やナレーション、なし
かわりの冒頭オリジナルシーンは、産屋敷が妻と一緒に隊士の墓参りをするシーンである。
攻め過ぎだろ。強気すぎる。
新規は完全に無限列車に乗り込む前に置いてけぼりである。
ここまで攻めるのはもう、あの後半のシーンに全力を注ぐための他ならないと思う。
煉獄さぁぁぁん!!!
これはもう本当にマジな話なんだけど、話の結末はもう漫画でとっくに履修済みなのに、観てる間は本当にどうなるかわからなくなった。意味わからないかもしれないけど、多分観た人はみんなそうだと思う。これって冗談抜きですごいと思う。
だから今テレビアニメの劇場版って、今までの常識や慣習に負けず突き詰めて凄いのを作れば、もう変な二次創作やダイジェストに頼らなくてもいいんだよ、というメッセージを鬼滅の刃が教えてくれたと思う。
最高の映画だった。
おい、山崎貴、聞いてるか?
ウェルビーイングの話
ウェルビーイングという言葉を最近良く聞く。
ウェルビーイングというのは、簡単に言うと精神的、健康的、社会的に充実し、「良好」な状態のことである…
よくわからない笑
とりあえず健康で文化的な最低限度以上の生活というやつか。
国連が厚かましくも勝手にこのウェルビーイングを数値化して、国別に「幸福度」のランキングを作っている。そのランキングでは日本は毎回大した順位じゃないらしい。50位とかそんなんだ。
そんなこと、わざわざ皆まで言うことかな?わかってるよ。日本の幸福度が低いことくらい。デリカシーが無いよね。
けど、世の中にはそういうあいまいなモノにも、しっかりした人がしっかり根拠を持って数値化するというのをありがたがる人がいるのだ。そんな人だらけの世の中のウェルビーイングを数値化してみて欲しいけど…
しかし、このウェルビーイングをもっと身近な問題に結びつけられるような気もしなくも無い。
自分の行動そのものを、ウェルビーイング的に相対的に見るのだ。
例えば、「やらなきゃいけない家事vs眠気」で眠気が勝って睡眠をとれば、それはその時睡眠の方がウェルビーイング的に上だったのだ。
生活は常にその時その時の判断をなにかしら天秤にかけている。しかしその時の自らの選択は100%自分の自由意思にかかっているわけではなく、精神的、健康的、社会的にある程度隷属している面もあって、まさしくウェルビーイングが非常に密接なのだ。
少し話を飛躍させる。
違法薬物の使用や、不倫騒動で刑事的、あるいは社会的に芸能人が糾弾されることが多い。
確かにそれらは決して許されるものではないだろうが、ワイドショーやSNSなどではより煽動的に過剰にそれらを徹底的に攻撃し、ちょっとうんざりする。
前提として、不祥事を起こした彼らも人間である。前述の家事と眠気の小市民的な戦いと同じように、薬物と何か、性欲と何かが常に戦っていたのだ。
勿論彼らも薬物や不倫が絶対にダメなこと、手を出すとどうなるか理解していないわけがない…と思う。流石にそれはそうだろ。
あんなことになってしまう…と重々理解したとて彼らはやってしまうのだ。
だからつまり薬物や性欲ってそれはそれはウェルビーイング的に最強なのだ。範馬勇次郎だ。
他の何かで保管出来ない程に最強のウェルビーイング。これはもう認めざるを得ない事実なのだ。それを認識することがすごく大事な気がする。
薬物や不倫をする人を人間としてありえない存在などと排除するのではなく、そんなものよりもウェルビーイング的に優れたものが社会に無いことの方が問題なのだ。
そんなものがこの世に存在する必要のないくらい世の中が楽しくなる以外に、相対的な価値を下げる以外にそれらがなくなることって無いと思うのだ。
いじめや自殺なんかもそうである。いじめっ子にいじめてはいけない!自殺したいひとに自殺してはいけない!って押し付けるよりも、いじめや自殺よりもずっと楽しいものを提供できる社会になるべきなのだ。
その心がけこそが、わざわざ幸福度のランキングなんて作るよりもずっとずっとウェルビーイングだと思うのだ。
とは言え世の中、日本もずいぶん価値観がリベラルになっていると思う。同時にピリピリもしているが、これはまあ過渡期なんだと思う。
私が老人になるころには随分ウェルビーイングが高い世の中になってるんじゃないかな?