ぴーがぶたまご日誌

いい加減なひとが、自分のメモ用にいい加減なことを書く

ウェルビーイングの話

ウェルビーイングという言葉を最近良く聞く。

ウェルビーイングというのは、簡単に言うと精神的、健康的、社会的に充実し、「良好」な状態のことである…

よくわからない笑

とりあえず健康で文化的な最低限度以上の生活というやつか。


国連が厚かましくも勝手にこのウェルビーイングを数値化して、国別に「幸福度」のランキングを作っている。そのランキングでは日本は毎回大した順位じゃないらしい。50位とかそんなんだ。


そんなこと、わざわざ皆まで言うことかな?わかってるよ。日本の幸福度が低いことくらい。デリカシーが無いよね。

けど、世の中にはそういうあいまいなモノにも、しっかりした人がしっかり根拠を持って数値化するというのをありがたがる人がいるのだ。そんな人だらけの世の中のウェルビーイングを数値化してみて欲しいけど…


しかし、このウェルビーイングをもっと身近な問題に結びつけられるような気もしなくも無い。

自分の行動そのものを、ウェルビーイング的に相対的に見るのだ。

例えば、「やらなきゃいけない家事vs眠気」で眠気が勝って睡眠をとれば、それはその時睡眠の方がウェルビーイング的に上だったのだ。

生活は常にその時その時の判断をなにかしら天秤にかけている。しかしその時の自らの選択は100%自分の自由意思にかかっているわけではなく、精神的、健康的、社会的にある程度隷属している面もあって、まさしくウェルビーイングが非常に密接なのだ。


少し話を飛躍させる。

違法薬物の使用や、不倫騒動で刑事的、あるいは社会的に芸能人が糾弾されることが多い。

確かにそれらは決して許されるものではないだろうが、ワイドショーやSNSなどではより煽動的に過剰にそれらを徹底的に攻撃し、ちょっとうんざりする。

前提として、不祥事を起こした彼らも人間である。前述の家事と眠気の小市民的な戦いと同じように、薬物と何か、性欲と何かが常に戦っていたのだ。

勿論彼らも薬物や不倫が絶対にダメなこと、手を出すとどうなるか理解していないわけがない…と思う。流石にそれはそうだろ。

あんなことになってしまう…と重々理解したとて彼らはやってしまうのだ。

だからつまり薬物や性欲ってそれはそれはウェルビーイング的に最強なのだ。範馬勇次郎だ。


他の何かで保管出来ない程に最強のウェルビーイング。これはもう認めざるを得ない事実なのだ。それを認識することがすごく大事な気がする。

薬物や不倫をする人を人間としてありえない存在などと排除するのではなく、そんなものよりもウェルビーイング的に優れたものが社会に無いことの方が問題なのだ。

そんなものがこの世に存在する必要のないくらい世の中が楽しくなる以外に、相対的な価値を下げる以外にそれらがなくなることって無いと思うのだ。


いじめや自殺なんかもそうである。いじめっ子にいじめてはいけない!自殺したいひとに自殺してはいけない!って押し付けるよりも、いじめや自殺よりもずっと楽しいものを提供できる社会になるべきなのだ。

その心がけこそが、わざわざ幸福度のランキングなんて作るよりもずっとずっとウェルビーイングだと思うのだ。


とは言え世の中、日本もずいぶん価値観がリベラルになっていると思う。同時にピリピリもしているが、これはまあ過渡期なんだと思う。

私が老人になるころには随分ウェルビーイングが高い世の中になってるんじゃないかな?