ぴーがぶたまご日誌

いい加減なひとが、自分のメモ用にいい加減なことを書く

関東の笑いと関西の笑いの違い

最近、東京のお笑いと大阪のお笑いの違いを結構認識できるようになってきた。

とはいえこの感じは、多分みんななんとなく感じていることだと思うし、概念として認識はしているのではないか。

なにしろ、私も東京に来てもうすぐ7年になるが、これまでも幾度となくそのような感触に触れてきた。

なんというか、友達なんかと一緒にいて、みんな笑ってるし面白い状況なんだけど、一方でみんなは大笑いで私は小笑い、私は小笑いでみんなは大笑いてな状況である。

これ、上京してきた方々はむちゃくちゃ共感してくれるんじゃないかな…??


以前お笑いフィルターの話で、それぞれ笑いのツボが違うという話をした。この定義でいえば私がお笑い音痴という話になるかもしれないが、そもそもこのツボはどのような人生を歩み、何を享受してきたかによるものが大部分である。お笑いは大きな枠組みの内輪ネタとも言ったが、出身地やどこで誰と何をしてきたかも笑いのツボの構成にすごく重要なのである。

だから、東京と大阪でお笑いに違いができる。では、その違いとは何なのか?


結論から言うと、東京のお笑いは「人柄の笑い」で大阪のお笑いは「構文の笑い」である。これは芸人のお笑いの話ではない。一般生活における、家族や友人、職場なんかでの話である。


東京の方は、誰が何を言ったか。期待したものを期待以上に出してくれるか。が笑いのツボにしていると思う。

重ねて言うが、別にこれは芸人の話ではない。東京人のあなた!あなたが友達と話す時こういうタイミングで笑ってないだろうか??

「ほんっとに○○は××だな〜」

「それなー!!」

である。ある意味自明の笑いというか、パワーの笑いである。笑いどころは面白い人のタレント性に比重が置かれている。誰が見ても面白いシンプルなお笑いである。


大阪の方は、この状況ではコレ!あのセリフにはこのセリフ!というあるフォーマットに則って笑いを共有する文化である。

「なんでやねん!」「すなー!」などに代表されるいかにもお笑い的フレーズがあるのも特徴で、「なんでやねん」なんて役がそろえば誰が言ってもおもしろい必笑フレーズである。そのフォーマットを重要視する分、そのフォーマットからの裏切りを笑いの軸にしている。お笑い勉強家である。


両方とも突き詰めればどちらも間違いなく面白いものである。しかし、現実には両者は水と油とはいかないまでも、根本の部分で決定的に相容れない。それは何故か。


それは双方のメリットデメリットがお互いのメリットデメリットに反作用するからである。ここから先は少し難しい話になる。

東京のお笑いは、キャラクターで笑いが起こる。一般の友達関係でいくと、お笑い担当の彼、彼女らはお笑い担当であるから、おもしろいという感じだ。根本的に関東のコミュニケーションは、グループの中の役割にそって話が進み、それぞれの役割通りに振舞うのだ。キャラクターでおもしろいとされているから役割的に笑っているので、その人の発言者の意思、主張がおもしろフィルターによって阻害される現象がある。ここらへんはかなり実生活で感じる人も多いのではないか。関東の人は自発的なお笑いや気付きのお笑いが苦手である。

大阪の人は、お笑いの構造的な部分が笑いのツボである。そこにあるのは笑いのルールやフォーマットだけで、人間関係のアレコレは希薄である。そして、関西の方は深い人間関係の構築に拘る傾向があり、お笑いというのはコミュニケーションの手段の一つであり、人間関係の役割に応じるためのものでは無いのだ。だから関西の人は、キャラクターで笑うことや見たことがないお笑いが苦手だ。自分のテリトリーに意固地である。そしてそういう役割に拘らず、意固地な部分が、関西人=ガサツみたいなステレオタイプの関西人像を生んでいるのだ。(ここにもキャラクターの笑いがあるともいえなくもない)

東京の人と大阪の人のコミュニケーションにおける役割分担の認識のズレが、つまりお笑いのズレにあると思われる。


ここからは仮説だが、東京と大阪はともに大都市であり、人口も非常に多い。それはもう一生地方で暮らしている人が一生で出会う人の人数よりも、彼らが1日ですれ違う人が多い程の大都会である。

だから今まで話したことは、おそらく彼らがその異常な数と触れ合う上での工夫、アプローチの結晶だと思うのだ。

東京はその膨大な人間関係においてその人物の性格、役割を簡略化、デザインした。

大阪は膨大な人間の中でコミュニケーションや価値観を特殊化することで集団を個別化させてきのだ。


最近はコミュニケーションに関して様々な問題提起がされているが、このような土地柄ごとのお笑い観を認識してみるのもおもしろいのではないかと思う。

ちなみに私がお笑いのネタでそれらを考慮することは一切無い。

そんなに器用な人間でないし、面倒くさ過ぎるからだ。