ぴーがぶたまご日誌

いい加減なひとが、自分のメモ用にいい加減なことを書く

森会長の失言問題をお笑いの角度から考える

森喜朗JOC会長の失言問題、について昨日たまたま入った定食屋さんのテレビで特集されていた。「女性がいる会議は長引く」と言った発言をJOCの理事会で言ったとされる問題だ。


ワイドショーでは不適切発言を受けたとされる女性理事の方のインタビューや、コメンテーターが森会長の発言や感覚の、極めて時代錯誤で倫理的な問題を指摘していた。

まあ概ねその通りであると思うし、彼らの発言に異論があるわけではないが、私もなんとなくその話についてテレビを観ながらぼんやりと考えていた。そうしたら、この問題は"お笑いの観点"からも考えられないかと思った。


前にお笑いの話をしたと思うが、その点を踏まえつつ、まず前提として考えるのは、お笑いは突き詰めると全部『内輪ネタ』であるということだ。これはもうどうしたってそうなのである。

お笑いにおいて大事なことって、発想とかセンスとか表現力とか構成とか色々あるけど、やっぱりその根底には日本語を話すこと、日本で暮らしていること、日本の文化や歴史に慣れ親しんでいるということがある。それらを源泉としてお笑いが生まれると言うことは、やはりみな(そこまで広い範囲が内輪であるかはとりあえず無視して)内輪ネタであるのだ。

しかも、一番自分のお笑いレーダーを把握しているのは紛れもなく自分自身である。だれしも自分以上のお笑い人間はいないのだ。内輪も内輪、超内輪である。

でも、同じ日本人、人間でも同じ人生を歩んでいる人間は一人としていない。同じ出来事にも、人それぞれフィルターがかかる。だから、自分の感じる面白さが『伝わる』とは限らない。それが『スベる』ってことである。これがあるからお笑いって難しい…


さて、森喜朗さんの話に戻る。彼って何者なんだろうか?

元首相ではあるけども、すぐ辞めちゃったし、首相のころから失言問題とかばっかだったし、その割には色んな役職をしてるし、もう随分ご高齢だろうにJOCの会長してたり。すごいのかすごくないのかよくわからない。

いや、まあ今まで63人しかいない総理大臣になってるんだからすごい人なんだろうな。うん。

そして、彼に常について回るのは失言問題である。今回の問題に対しては女性と社会の取り組みについて機運が高まるこの時代にこんなことを言うなんて!と言う論調ではあるが、このおじいさんは今じゃなくても失言はしていたし、別に今に始まったことじゃない。めちゃくちゃ不人気だったし…

なんでそんな人が総理になれるのか…?


というと、おそらくこの人は愛されているのだ。国民にではなく仲間内で。きっと数々の失言も、国会議員の飲み会なんかでは爆笑をかっさらっていたのではないだろうか。

多分森会長は今回の発言も(よっしゃ〜、コレ言うたらウケるやろなぁ〜!)と意気揚々とぶち込んだのである。結果はダダスベり、チーン…である。

ついでに「老害が粗大ゴミになったら」云々もスベっている。悲劇的にお笑いセンスが粗大ゴミなのかもしれない。


お笑いにおいて一番大事なのは「伝える」ことである。この場合伝わらなければいけないのは、森会長の人間性のマズさではなく、面白さでなければならない。お笑いの真骨頂は負け戦をいかに綺麗に負けられるかと言うのもある。全部が全部勝戦なんてダウンタウンでも不可能、鉄は叩いて強くするのだ。


今回の問題の責任追求は森会長にあるのか、それとも森会長の下らない冗談にヘッヘッヘ〜と苦笑いをしてスベらせてこなかった議員達にあるのか。


色々書いたが所詮ブログである。「嘘を言ってもいいんだろ」