ぴーがぶたまご日誌

いい加減なひとが、自分のメモ用にいい加減なことを書く

お笑いの話

実は今、私はお笑いの勉強をしている。

勉強って言っても、学校の授業みたいに教科書があって先生の板書をノートを書いてみたいなではなく、もうとにかくネタを沢山考えて人前で披露する、めちゃめちゃ野性な勉強である。


お笑いってなんかとても変である。

面白いってとっても変だと思う。

面白さって絶対にお笑い芸人みたいな人に「与えられる」よりも、自分で勝手に想像してツボる方がいいと思うんだよね…

自分の人生を振り返っても、お腹抱えて大笑いするのってお笑い番組を観た時より、家族や友達のふとした一瞬の出来事の方が多くないだろうか?

まあなんでそうなっちゃうのかの話は長くなっちゃうからしないけど、お笑い芸人って家族でも友達でもない全くの他者を笑わせるってことだから大変なんだな…


じゃあなんでお笑い芸人が存在してるのか?

お笑い芸人のネタよりも、普段の生活で起こることの方が面白いならお笑い芸人なんていらないんじゃない?って


私はここ数ヶ月勉強してわかったことがある。

「お笑い」と一括りにされているが、これは分解すると、『面白い』と『楽しい』の2つの要素で出来ていると思うのだ。

お笑い芸人は、本人の性格や性質に、この面白さと楽しさをくっ付けて作っていくんだと思う。まるでゲームのステ振りみたいな感じだ。


お笑いファンってとてもストイックな人がいるから、「馬鹿野郎!お笑い芸人は面白さだけ追い求めりゃいいんだ、楽しいなんて女子ども喜ばせるだけだ」って言う人もいると思う。

確かに面白さを追求するのって何よりもずっと大事なことだと思うけど、楽しいってこともとても大事なことだと僕は思うのだ。

なぜなら、それが先程言ったお笑い芸人の存在価値だと思うからだ。

お笑い芸人はつまり人を楽しませる人達だと思うからだ。


面白いことなんて世の中いくらでもあるのだ。別にお笑い芸人だけが面白いことをしているわけじゃないし。

かつて赤ん坊だった頃はみんな親兄弟のいないいないばぁで大笑いしてたのだ。クソくだらないことで笑ってたのだ。

だから、面白いと思う面白感度なんてその時の状況や気持ちでコロコロ変わっちゃうのだ。笑いの沸点なんて言うよね。箸が転がっても笑うとか、お葬式の時は何が起こっても面白い、みたいな。


でも楽しいって繊細な面白さと違ってその人にとってずっと変わらない感情だと思う。

楽しいって楽しいから楽しいのだ(わけわからん)

みんな別々の人生を歩んできて、一人して同じ人間はいないけど"楽しい"を共有出来る人が現れたら、仲間や友達、恋人なんかになったりする。それぞれの面白感度は違うように何を楽しいとするかも人それぞれあるけど、友達や恋人以外にも楽しいをお届けしてくる存在があるってとっても素敵な事だと思う。

つまりお笑いってエンタメなのだ。


どういう面白さ、楽しさを与えられるのかは芸人によって違う。最近はm-1やIPPONGPなんかでお笑いがストイックなアスリートのようになっている。それもまたお笑いの熱いところだけど、楽しいって言うのもやはり芸人の本分で、そこにもみんな一生懸命で熱いのだ。


だからテレビやライブで芸人のネタや平場を見ることがあったら、「いや〜、この芸人は楽しいなぁ〜」と言って見てほしい。

めちゃめちゃ玄人っぽく聞こえること請け合いである。